ソン・ウォンピョンの『アーモンド』を読みました。
あらすじ
扁桃体(アーモンド)が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない十六歳のユンジェ。そんな彼は目の前で祖母と母が通り魔に襲われたときも、ただ黙って見つめているだけだった。母は息子に感情を丸暗記させることで“普通の子”に見えるよう努めてきたが、その母は事件によって植物状態になり、ユン ジェは一人ぼっちに。だが、ある出会いが、彼の人生を大きく変えていく――。
感想
物語には2人の怪物が登場します。1人は感情がわからない怪物。1人は感情が豊かすぎる怪物。2人の怪物が出会い、お互いに影響を与え、変わり、成長していく物語です。
物語は2人の怪物を中心に進んでいきますが、この2人の他にも、何人かの怪物が登場します。中には、本物の怪物がいます。1人は社会に見捨てられたと感じ、心を怪物に侵された本物の怪物。1人は純粋な本物の怪物。
ユンジェとゴニは怪物であったのかもしれませんが、本物の怪物にはなりませんでした。
ユンジェは母親と祖母から惜しみない愛を受けて育ちました。そのため、彼は本物の怪物から最も遠い怪物であったのでしょう。そして、怪物であることの外側に関心を持つようになります。
ゴニは満足な愛情を受けずに育ちました。人一倍感受性の強い彼は、満たされない心を埋めようと小さな社会の中でもがき続けます。
ユンジェもゴニも本物の怪物になる可能性はあったと思います。でも、そうはなりませんでした。
私たちの誰もが本物の怪物になる可能性を秘めています。そして、実際に、私たちの社会には本物の怪物が現れます。もし、彼らが本物の怪物になる前に、誰かが手を差し伸べていたら、彼らが本物の怪物にならない道はあったのでしょうか?
私は本物の怪物の多くは私たちの社会が生み出すと考えています。誰かが手を差し伸べていたら、社会が少し優しければ、何人かの怪物は本物の怪物にならずに済んだのではないかと思えてなりません。
作者は巻末の言葉に願いを込めています。私も、少しだけ優しい社会を、傷ついた人に誰かが手を差し伸べてくれる社会を願います。
好きな言葉
世界で一番かわいい怪物。それがおまえだな!
おばあちゃん p.45
私にとってそれはさ、生きてどうするのっていう質問と同じなんだよ。あんたは何か目的が合って生きてる?正直、なんとなく生きてるじゃん。生きていいことがあれば笑うし、悪いことがあれば泣くし。走るのも同じことだよ。一番になれば嬉しいし、負ければ悔しいよ。実力がないと思って自分を責めたり、後悔することもあるよ。それでもとにかく走るんだ。なんとなく!生きるみたいに、なんとなく!
ドラ p.186
「親しくなるって、具体的にどういうことですか?」
シム博士 p.128
「例えば、こうやって君と私が向かい合って座って、しゃべってるみたいなこと。一緒に何か食べたり、考えを共有すること。金のやり取りなしにお互いのために時間を使うこと。そういうのを親しいって言うんだ。」