ベーリング海峡はユーラシア大陸とアメリカ大陸を隔てる海峡です。東シベリアのチュクチ半島とアラスカのスワード半島との間に位置します。
ベーリング海峡の発見
ベーリング海峡という呼称はこの海峡を発見したロシア帝国の海軍士官ヴィトゥス・ヨナセン・ベーリングに由来します。
ヴィトゥス・ベーリングは1681年にデンマークのホーセンで生まれ、1703年にアムステルダムの学校を卒業します。卒業後に東インドへ旅行をし、その後、ロシア海軍に入隊しました。
1700年から1721年にかけての大北方戦争ではバルチック艦隊の一員として戦いました。
米露海峡とダイオミード諸島
ベーリング海峡はアメリカとロシアの国境が対峙していることから「米露海峡」の異名を持ちます。
海峡の距離は96km、海峡の中間にはダイオミード諸島があります。ダイオミード諸島はリトルダイオミード島とラトマノフ島(ビッグダイオミード島)の2つの島からなります。
リトルダイオミード島はアメリカ合衆国領、ラトマノフ島はロシア領です。2つの島の間は3.7km、両島の中間点を国境と日付変更線が通っています。アメリカとロシアが最も接近している場所です。
この国境は、1867年にアメリカがロシア帝国からアラスカを買い取った際に確定しました。クリミア戦争の影響により経済的に疲弊していたロシアはアメリカにアラスカ売却の意向を打診しました。交渉の結果、アメリカが720万USドルでロシアからアラスカを購入する条約が調印されました。
720万USドルは2016年現在の貨幣価値で約1億2300万ドルです。ロシアがこれほどの安値でアラスカを売却することに至った背景にはクリミア戦争により経済的に疲弊していたことに加え、アラスカの植民地経営に行き詰まっていたことが挙げられます。
ロシアはアラスカを植民地として毛皮獣の狩猟を主な産業として経営していましたが、乱獲による毛皮獣の枯渇が進み、経営が成り立たなくなっていました。経済的にメリットがなく、本土から遠く離れ、補給も防衛も困難なアラスカを売却するという決断に至ったのです。
1853年から1856年にかけてのクリミア戦争ではイギリスと敵対していたため、当時は関係が良好であったアメリカを取引相手に選びました。
アメリカでは購入当初、「巨大な保冷庫を購入した」などと非難されていましたが、1896年にはアラスカで金鉱が発見されアメリカに巨大な富をもたらすことになります。さらに、ソ連と対立した冷戦期には軍事上極めて重要な役割を果たしました。